前号の蔵元日記(ブルネロクチネリ)編でイタリアに行ったお話をしましたが、そもそものイタリア訪問の目的は宮川秀之さんという方にあって、そのお孫さんの結婚式に参加するのが今回の目的でした。

宮川さんは僕たちの世代の自動車少年にとって、いつも記憶に残っていた方です。当時、今のようにきちんとした広報部もなかったであろう、モデナで自動車レースの片手間に少量生産の市販スポーツカーを造っていたにすぎない、フェラーリやマセラティ―に直接コンタクトして試乗させてもらう。そしてその試乗記をカーグラフィックに寄稿する。イタリアのスポーツカーなんて夢のまた夢。雑誌で見る事しかできない自動車少年に「いつか僕も(ついでに隣にイタリア人美女と?!こらこら!!)」という見果てぬ夢を与えてくれた人です。

実際の宮川さんは、最初はオートバイで世界一周の旅に出て、途中のローマで広島大学出身!のマリアさんと出会い結婚することになり、生活のために!?当時やっとよちよち歩きを始めた日本の自動車会社はじめ日本の機械系企業とイタリア経済界の橋渡しの道を個人で切り開いていった戦後の日伊の経済成長期を支えた「サムライ」とでもいえる人です。その後、カーデザイナーとして世界の第一人者となっていく新進のジゥジアーロと知り合い、フォルクスワーゲンゴルフなど様々な車のデザインを手掛け、日本でもいすゞ117クーペのデザイン会社として知られる「イタルデザイン」を共同で設立し、現代の世界の自動車デザインにとっての大きな道筋を造ったのです。

 

そんなすごい人に出会うきっかけを作ってくれたのが熊林さん。うちの社長と同年代の、年は若いけど北海道から身を起こし、電気工事会社やファッション企業などいくつもの会社を立ち上げたできる男です。こんな人ばかりだったら「日本の将来は安泰」みたいな若者です。

彼から「トリノのサッカーチームのユベントスって知ってる? そのホーム競技場のVIPルームの権利を買ったんだけど、いろんなビジネスの可能性を感じているんですよ。見に行かない?」と誘われてのこの3月にトリノへ行ったのがきっかけです。

よく聞いてみると、そのユベントスのスポンサーシップを仕切っている方がなんと宮川秀之さんの御子息だったのです。そんなことでさらに自動車少年のボルテージが上がり、「宮川秀之さんにお会いしたい」「お孫さんが結婚されるそうだけどぜひその結婚式に参加しなくては」ということになったのです。宮川さんの方からも「孫の結婚式に参加して良いよ」と快くお許しいただき、今回のイタリア行きとなったわけです。

 

で、イタリアの結婚式です。良いですよーっ。14世紀のお城の中庭で開催された結婚式。式後、花嫁花婿が皆の祝福を受けながら式場を後にするのは真っ赤なアルファロメオのスパイダー!!(映画「卒業」で花嫁を略奪しに行く主人公が乗っていた車) そして、宮川さんご自身がオーナーであるワイナリーの庭園で開かれた披露宴まで、とにかく、ため息が出るような南イタリアの古い田舎町の美しさとフレンドリーなイタリア人たち。ただし、結婚式から披露宴までは長時間(昼から始めて深夜まで)。私たちは早々に8時過ぎに失礼したのですが、予定通り午前過ぎまで祝宴は続いたようです。シャンパンタイムが終わって、前菜が出るころにはみんな立ち上がって踊りだします。その後も若干のスピーチタイムの休憩?をはさんで踊りっぱなし。みなすごい体力。花嫁のお母さんまで軽快なステップで踊り始めるんですから、、、イタリア人に乾杯!!

ちなみに、着物で参加しました。あの伊達者揃いのイタリア人の間で背広じゃ絶対勝てませんから。ご愛敬は、羽織の背中に家紋代わりに入れている獺祭の白抜き文字。イタリア人にとっては興味津々だったらしく、みんな背中に回って写真を撮っていたと後で熊林君が教えてくれました。

 そして、今回のクライマックスは、結婚式の余韻冷めやらぬ会場となったワイナリーへの翌日の訪問。新郎のニコ君もまだ残って!?いて、親族一同や親しい友人たちも去りがたい様子。皆さんなんとなく二日酔いのご様子。そんな中、御当主の宮川秀之さん86歳へのご挨拶がかないました。思わず、「60年の年月を超えて会いに参りました」と宮川さんの手を取っていました。

60年前からのアルバムを手に、宮川さんが説明してくれる話は、まさに日本の自動車業界がただの日本のローカル企業から世界へ出ていく黎明期の様々なエピソード。なんとなく想像はしていたんですが、我々の先輩たちがいろんな困難をものともせず、前に進んでいった色んな実話をその時の状況と共に話していただきました。私たちの先輩が敗戦国から世界を目指した姿に改めて頭が下がりました。

途中、宮川さんが所蔵されている1926年型のジャガーSS100の見学や、ワイナリー見学という休憩をはさんであっという間に辞去する時間がやってきました。「また、必ず参ります」とご挨拶して、ワイナリーを後にしました。

 

とにかく、あんな「人格」と出会えたということは、前回のブルネロクチネリの村の訪問とともに私の大きな財産です。私も宮川さんに倣って、まだ形になっていませんが、何かこの出会いを大きな果実に育てたいと思います。熊林君ありがとう。そして彼と知り合うきっかけを作ってくれた弘兼先生、ありがとうございます。