「カンブリア宮殿」以降、お客さまの反応は大きなものがあります。その上、もしかすると皆様の目に書店などで触れているかもしれませんが、拙著「逆境経営」もダイヤモンド社から発刊となり、反応はさらに増幅されているように感じます。

この蔵元日記を読まれている方にはこの本がこれまでの蔵元日記の抜粋という事はお分かりでしょうが、先日7刷が行われ23,000部を数える事となりました。なんと23千部。23ですよ。二割三分です。駄洒落に喜ぶ私を、周囲のみんなは「あほか」とあきれております。

しかし、そんなおめでたい私の反応は別にして、結果として、お取引酒販店の店頭から「獺祭」が消えてしまっている現実があります。お客様にご迷惑をかけている現状はどうにもならず、ただただ、皆様のご愛顧とそれに応えられない弊社のふがいなさに頭を垂れるばかりです。(ありがとうございます。そしてもうしわけございません)

「こんなときにメディアに嬉しそうに出るな」という酒販店や飲食店様のお叱りを受けることも多いのですが、そもそも、40年間で石数が三分の一になってしまった日本酒業界の現状を考える時、「日本酒ってすごいんだ」「かっこいいものなんだ」という事をアピールしなければいけないと考えています。出しゃばり続けていますが、今少し、ご猶予をお願いします。

とにかく、「獺祭ってあんなに造ってどうするんだ」(幻の酒にしたくない)、「大量生産で適当に造ってるんだろう」(酒蔵を実際に見に来てください。そして若い社員達の眼を見てください)、「獺祭は酒は美味いが文化がない」(これは少しうれしい。してやったり)、「獺祭が山田錦を使いすぎるから」(その前に山田錦の産地を見捨て続けた酒造業界の責任はどうするの)、などと非難を浴びながら、獺祭の石数を増やし続けてきました。しかし、現状の品薄は私どもの歩んできた道が間違っていなかったと確信できるものです。もっとも(印象としては)同じ人から、「そんなに造ってどうする」と「なぜ、こんなに酒がない」と、正反対の二つの非難を浴びているような気がしますが。

そんな話はおいといて、新しい製品を出します。それは「獺祭等外」

言葉通り、山田錦の等外米を使用したお酒です。

従来、等外米の山田錦を使用すると特定名称表示ができなくなるので、私達には使う事ができませんでした。(もっとも、隠れて使用していた酒蔵もいたらしく、それが最近の偽装表示などで表沙汰になったりしました・・・、灘の大メーカーまで!! うーん!!) とにかく使わなかったのです。しかし、山田錦を栽培するとき5%から10%程度の等外米は発生するといいます。

私どもは最近、山田錦を栽培した事がない農家にも「山田錦を栽培してください」とお願いしております。これで、一定量出ると予想される等外米を「弊社では買えません」ではあんまりです。これでは「農家にリスクを押し付けるが酒蔵はリスクを取らない」といわれても返す言葉がありません。

そんな理由で山田錦の等外品も今年から購入させていただいて酒を造る事にしました。今年はまだテスト醸造のようなもので750kg仕込み二本と小規模なものです。残念ながら、お取引先に配分するほどの量にならず、ほとんど自家消費のようなものになるかと思います。

ところで、等外米は粒ぞろいが悪いのが特徴ですので、麹は普通の等級付き山田錦の50%精米を使用しましたが、掛け米は等外米のみです。ちなみに精米歩合は35%まで磨きました。つまりY・K・35(!!)です。

実は、精米担当のほうからは10%余計に磨くと正規米と同程度という報告は受けていました。つまり、40%まで磨けば50%と同等という事ですね。しかし、それでは面白くないので、さらに5%磨け、と指示して35%まで磨かせたわけです。

勿論、等外米を使用しているわけですから、純米大吟醸表示は無しです。普通酒という事になりましょうか。このお酒、もしどこかの酒販店の店頭で目にとまったら手に取ってみてください。「作ってもらった山田錦はキチンと美味しい酒に仕上げる」、表示法など色々足枷はあってもお役所感覚でなく本当に社会にとって何が大事か考える。獺祭の新たな一歩です。

山田錦の全国生産総数30万俵を60万俵におしあげて、TPPにも負けない日本の農業を創るお手伝いを獺祭はしたいと思います。

◆蔵元の蛇足◆

農水省のホームページによると、日本の米の総生産数量は8,483,000トンだそうです。すると昨年度の日本酒業界が使用した酒米の総数は24万トンですから、約3%弱。そして獺祭が使用した酒米は41,000俵強で2400トン。つまり日本の米の3%が酒米でその1%は獺祭だという事です。(日本酒の総販売数量に占める獺祭の割合ははるかに小さいのですが、表示上は別として本質的には純米大吟醸だけですから普通の酒蔵の4倍の使用数量がありますから)

何を言いたいかというと、日本の農業がかわる土壌は私達にも少しですが作る事が出来ると考えているという事です。