びっくりしました。アメリカにも蛍がいるんですね。しかも我が家の前に。昨日夜、社員の自宅に招待されて良い機嫌で帰ってきた8時半ごろ、自宅前の芝生から小さな光がぽつぽつと飛び立つのです。目を凝らしてみると蛍です。

川もないのにどうして? 当然、日本でホタルの餌になるカワニナもいませんから何を餌に?疑問は数限りなく浮かんでいるのですが、とにかく蛍が我が家の前の芝生に生息しているのです。

ちなみに、蛍に限らずアメリカは自然豊かでいろいろな生き物が人間と共生していますね。裏庭でリスを見かけるのは日常茶飯事で、寄って行ってもよほど近くまで行かないと逃げもしません。この前は深夜の自宅前のハミルトンストリート(結構車の往来も多い)を走り抜ける狐を見ました。そのうえ、なんと白昼堂々、鹿の親子まで我が家の庭に出没するのです。目が合っても逃げもしません。

 

☆手間をかけるのは罪か。

キリスト教におけるアダムとイブの話を思い出すとき、「禁断のリンゴをかじった時から人間に原罪が生まれた」とあります。人間の原罪として最初に記されているのが労働の罪です。アメリカに来て、現地のスタッフ達と仕事をしながら、感じるのは労働に関する感覚の違いです。

仕事をしたくないんじゃないけれど、昼食時間も30分で切り上げていいから「早く帰って個人の時間を大事にしたい」なんてところを見ていると彼我の違いを結構感じます。また、何でも合理的にやりたがるのに、電車の中でいまだに車掌が検札に来て別の車内チケットをその場で発行するシステムの非能率さなんて見ていると、欧米人は「労働は一段落ちることで、だから、能率を工夫する気はないしエリート以外がやればいい」と思っているように感じます。

ここに獺祭は「手間」という日本社会が普通に持ってきた概念をもって切り込もうとしているんです。うまくいくでしょうか。私の支えは、西洋合理化社会に、そして結果としての弱肉強食社会に、いやおうなしに引きずり込まれた明治時代以前の日本が300年の長きにおいて、戦争のない平和な社会を作り上げていたことです。

戦争のない平和な地球を実現するとき、「手間」の概念なしにはありません。「獺祭こそ地球を救う」