1月10日付の日曜紙『Journal du Dimanche』に獺祭の記事が掲載されました。

酒蔵の様子や獺祭の理念についても言及されています。

以下、社員による日本語訳です。

 

聖なる酒

日本 / 国外に日本酒を知らしめた獺祭の超近代工場を訪問

 

広島東部の岩国の山にアスファルトのカーブした道がはいっていき、反り返った屋根の木造りの家がちらほらと景色に点在している。こんな日本の典型的な田舎のど真ん中に、この風景とはちぐはぐな、12階建ての白いコンクリートの超近代的なビルが川のそばに佇む。

ここで、日本通のジョエル・ロブションをして、世界最高の酒と言わせた、すばらしい日本酒、獺祭が作られる。

コロナ禍前にこのバイオテクノロジーのラボのような建物を訪問した。白衣に靴カバー、頭にはキャップをかぶり、壁に取り付けられたエアシャワーで訪問者のホコリをとりはらう。まるで「2001年宇宙の旅」の雰囲気だ。獺祭へようこそ!

 

精米競争

獺祭の歴史は賭けへの成功の歴史でもある。1984年に小さな家族経営の旭酒造を継いだ桜井博志会長は神道で神の酒と言われる日本酒の中でも最高のものを作ることに専念した。1985年来、国内の日本酒市場が三分の一縮小した一方で、獺祭の販売は3倍以上になり、毎年600万リットル以上の獺祭を生産している。

ここでひとつ注意。ここでいう「酒」は中華レストランで出される、底に裸の女性がみえるおちょこに入っているものとは全く違う。日本酒は、どちらかというとワインに近い。麹が使われ、米を醸造したもので、アルコール度数は12〜16度程度である。呼称条件も厳しく、グラン・クリュに値するものも存在する。

最高峰はアルコール無添加の、純米大吟醸と呼ばれるもので、米は最低50%精米されていなければならない。米の回りを削れば削るほど、米の中心からピュアで繊細な香りが得られる。

桜井博志は野心を燃やしたて、当時、未到達の77%まで磨くことに決めた。ここから、有名な、ミネラルでフルーティな獺祭23(なぜなら23%しか残っていないから)が生まれた。「それから、精米競争が始まった。99%まで磨くところがでてきたくらい。これは意味なし」と、子息で社長の桜井一宏はいう。

伝説ともなっている獺祭23(83ユーロ)の他に、獺祭45(つまり55%を精米。29.90ユーロ)、ふくらみがあり、余韻の長い獺祭39(61%を精米、46ユーロ)、それに「その先へ」という精米歩合は秘密、価格400ユーロ、桜井一宏によると、「余韻は10分間は続く」という銘柄がある。これは安倍晋三首相が2014年にオバマ大統領に贈答したものである。

 

サイエンスが決める

米はというと、獺祭は山田錦という、生産の難しい、したがって非常に高価な品種を使う。精米後、小さな真珠のようになった米粒はハイテク工場の中で、手で洗浄される。「もし、もっと性能良く洗える機械がでてくれば、機械の方を選びます」と桜井博志は言う。毎日、10トンの米が洗われ、蒸され、ホーロータンク内で発酵される。テクノロジーのおかげで冬を待たずとも、年中生産できるようになった。

もう一つ、伝統の国での革命、それは獺祭には醸造責任者である杜氏がいないことである。獺祭では決めるのはサイエンスである。表が壁一面に張り巡らされている部屋では、従業員が透明な液体がはいった試験管に身をかがめている。彼らは30日間分析してデータ記録をつけているのだ。表の線のカーブから見てゴーサインがでれば、液体は圧搾、瓶詰めされる。獺祭23には、熟成時の音楽鑑賞も予定されている。

 

『初心者向け』

こういったあらゆるサイエンス、マーケティングの革命は多くの人を苛立たせた。日本には獺祭派もいれば、「獺祭は初心者向けの酒」というアンチもいるが、彼らは結局なにもわかっていない。「我々は酒を取り巻くノウハウといったイメージを払拭したために、日本酒至上主義者は我々を嫌っていますね」と桜井一宏は話す。

成功したことが、国内で反発を起こさせることにもつながった。獺祭が日本酒を海外に出すことにも専念しているからなおさらである。獺祭の最大の輸出先国は中国、また、米国市場に向けた蔵がニューヨークに2022年のオープン予定である。

2018年にジョエル・ロブション氏が亡くなる直前、同氏は桜井一族と一緒にレストラン・バーの獺祭ロブションをパリ8区にオープン。

同店ではフレンチに新鮮な日本酒を合わせる。牡蠣に合わせるべく、ワイングラス(ワインと同様、酸化が必要)に注がれたこのミネラルな日本酒は、まさに白ワインに取って代わるものである。もちろん、チーズにも同様。「ロブション氏がそうしたように、ガストロノミーとワインの国のフランスが獺祭を受け入れてくれれば、それが勝ちなんです」と桜井氏は喜ぶ。